2004年12月31日〜2005年1月2日
愛媛県松山市は、結構有名だ。
まずは、道後温泉。
湯玉をシンボルとするこの温泉は、昭和31年までは天皇家が入浴できる温泉であったという。
(つまりそれまではどこそこの温泉には入れなかったというわけだな)
階段式の石風呂に、檜の板を五右衛門風呂のように張り詰めたという浴槽や砂を敷き詰めたというトイレ、三種の神器(模造)を背後に飾った休憩所など、さまざまなものを観ることが出来るのが、有名な「道後温泉・本館」である。
ちなみに、温泉のお湯は少々熱めである。
次に「坊ちゃん」
夏目漱石の有名な小説はこの地を舞台にしている。
道後温泉駅前には、坊ちゃん・マドンナ・明治時代の巡査に扮した観光協会(?)の方が、説明や写真に一緒に入ったりとあれこれ接待をしていた。
そしてここは、司馬遼太郎著「坂の上の雲」の秋山兄弟の故郷である。
日露戦争に活躍した兄(陸軍)・秋山好古と弟(海軍)・秋山真之の銅像も建てられ、ファンには見逃せない。
市電と同じ路線を坊ちゃん列車が走り(一人一回300円)湯の匂いが立ち込め、あちらこちら散策するにはちょうどよい、素敵な町であった。

2004年12月31日。
京都を出発する時は雨だった。
新幹線を待つ間にそれが霙にかわり、新神戸駅を過ぎるころ、雪になった。
車窓の景色は、あれもこれも真っ白で、新幹線は徐行を始める。
40分遅れで着いた岡山駅は、人で溢れかえっている。
同様に遅れていた(助かった〜)乗り継ぎの特急<しらさぎ>に乗って、一路愛媛県・松山市へ向かう。
次第に天気が回復する。
車窓からみる景色の中、遠くの山々・渓谷から湯気のような蒸気が立ち上る。
結局往路では一度も検札がなかった。
…が、一度だけ、車内販売が来た!
根性…だよね。
年の暮れ。
旅館で出た、年越し蕎麦である。
この地方では「冷たい蕎麦」なのだそうだ。
こういう変わったものに接するのも、旅の醍醐味である。

JR駅より電車で30分余。
松山城の東に、湯築城跡がある。
多くの犬の散歩コースに組み込まれているらしい…

「坊ちゃん」の登場人物があちらこちらから現れる・からくり時計。
2階建てが4階建てへと大変身。
1階部分の湯場には、作者の夏目漱石の人形も…。
おまけに足湯らしいのに裸にみえるが…?

有名な道後温泉・本館の正面。
中はややこしい廊下とふたつの湯船(霊の湯・神の湯)個室と2つの広間が有り、案内役に言われるまま移動する。
…でないと、迷うこと必至。
3階の個室の並び、一番奥に「坊ちゃんの間」
1階には天皇陛下ご利用の湯船と休憩の間などが見学できるようになっている。

道後温泉の温度はやや熱め。
本館の前は、観光客と、観光客目当ての人力車がたくさん。
ところで、この本館、どこかで見たことは有りませんか?
「千と千尋の神隠し」
ゆばーばがきりもりする「神様方の湯屋」のモデルがこれ。
「ああなるほど」
と手を打ちました。

本館3階の廊下。
この奥右手に「坊ちゃんの間」。
夏目漱石グッズがいろいろ…。
夏目漱石の写真ばかりか、奥さんの見合いの時の写真まで展示していた。
そして、流石にこの部屋からの眺めは最高であった。

夕刻。
目の前の駅を坊ちゃん列車が通過する。
普通の市電に混ざって、かなりの本数走っているのでちょくちょく目撃する坊ちゃん列車である。
それなりのスピードは出るが、それなりに揺れます。
弱い人は酔うかも。

道後温泉駅についた坊ちゃん列車はしばらくの間、展示、被写体と成る。
そして時間が来るとおもむろに線路に運ばれ、客を乗せて走るのである。

列車の中は結構狭い。
亜麻色の、磨きたてられた列車は、古い小説の世界に心を飛ばしてくれる。
懐かしい。
京都の市電を思い出すなぁ。

小さな列車なので、階段が狭く急で、降りるのも大変。
ちゃーんと車掌さんが手を貸してくれるのだ。

終点の駅に着くと、機関車は180度回転しなければいけないわけで…。
なんと、すべて手動なのである。
その一部始終を見学。
ほんま、ご苦労様です。

なにやら止め具をはずしてぐるぅりと。
あきれて…いやいや感心して上がる歓声。

一見、力を入れていないようにも見えますが…。

客車も動かし機関車に接続します。
3人がかり。
そして、みな"ぜーはー"と、息を吐いていました。
どーりで、車掌がみな若かったはずだ。

司馬遼太郎氏の著名な作品。
「坂の上の雲」
は、此処松山に産まれて育った兄弟の物語である。
…ということは、ファンなら当たり前の事実。
「坊ちゃん列車を走らす会」とやらの本部には、坊ちゃん列車が展示され、同時にこんな看板も。

正月休みで中には入れなかったけれど、外から覗いて撮った写真。
陸軍大将と成った秋山好古の銅像。
彼は日露戦争で、"騎兵隊"というものを組織し活用した。
本によると、彼は、背も高く、足も長く、彫り深く、外人ですら
「外人だろう」
と言ったぐらいの容貌だったとか。
今だったら、きゃーきゃー言われているだろうなぁ。
銃弾どころか砲弾が至近距離に落ちても酒を飲み続けている、大酒のみだったようだけど。

弟・秋山真之は海軍中将となる。
「天気晴朗なれど…」の電文を打った人として有名。
(当時参謀)
腹膜炎で死亡…考えるだに、痛そう。
頭はとんでもなく良かったけど、べらぼうに変人だったそうです。
(その辺がまた、ファンには魅力なんだが)

いさには神社、と読む。
古い社である。
随分な石段の上に鎮座ましましていた。
(それだけにありがたいのか…?)
平安時代…否、紀元前の神話時代に遡るというからとんでもない話である。
祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇の三柱姫大神。

仲哀天皇、神功皇后が道後温泉にご来浴の際の安在所跡にたてられた神社で、湯月八幡と呼ばれていた、と社伝にあり。

伊佐爾波の名前の由来は、古事記・日本書紀の神功皇后の記録の中に、「沙庭(さには)」或いは「審神者(さには)」と記載されており、これに「神聖な」「清浄な」の意味の「い(斎)」を冠したものと思われている。
すなわち、神功皇后の事績に関わる名称と見るのが妥当である。

伊佐爾波神社は、河野氏が湯築城の守護神として、今の地に移し、その後、加藤嘉明が松山城の片目として八社八幡を定めた時、一番社として武運長久の祈願所となった。

現在の社殿は、弓の名手であった松平松山藩第三代藩主・松平定長公が、将軍から命じられた流鏑馬の必中祈願のお礼として立て替えたものである。
時に、寛文7(1667)年のことである。
競弓を命じた迷惑な将軍とは、つまり…

宝物としては、定長公奉納の刀・甲冑・羽織などがあり。
また、全国的にも珍しい、和算の絵馬である「算学」が享和3(1803)年から昭和12(1937)年のものまで、計22面が存在する。

境内に飾られていた絵馬。
明治時代の日露戦争。
「旅順の戦い」の図。
奉納絵馬も多かった。

にきたつの道に面してある和食の店。
もともと造り酒屋らしく、酒蔵を改造した店内が心地よい。
"にきたつ"の由来は、
にきたつに
舟乗りせむとつき待てば
潮もかないぬ
今は漕ぎ出でな
この歌からつけられた

正月とあってか、店内の飾りも清々しい。
特にガラス器や酒瓶・タルを上手く使ってあった。
これは、玄関の明かり。

靴箱の鍵には、素敵なちりめんの飾りが…。
これをもつだけでもなんだか嬉しくなってしまう。
(子供にも受けていた)
有名な作家のデザインだそうです。

掘りごたつの席もあり、細部までのこだわりを感じさせる店内。
お昼のメニュー「昼膳」は、ひとつひとつがぐい飲みやお猪口に入って出てくるアイデアもの。
食が進みます。

酒屋の店内で。
綺麗に並べられたガラスの器の色が美しい。
形がなんとなく不揃いなのが魅力的です。

造り酒屋らしく、隣の店では各種のお酒を販売している。
なかなか洒落ている、酒屋の内部は、正月飾りも酒蔵で。
そして、とてもきれいな桜色をした「伊予の薄墨桜」はいちおしの清酒。

道後温泉の銘入りのビアグラス
素朴なデザインだけれど、なんとなく惹かれます。

道後温泉駅の階上は、喫茶店<坊ちゃん茶房>。
洋館作りで広々とした、喫茶店であった。
まるで神戸の異人館のような…
ただし、時折地震が!
…と思ったら、下の駅舎から坊ちゃん列車が発車する振動なのであった。

喫茶店のメニューのなかでも、美味しかった一品。
その名も、マドンナ・ブレンド。
ちょっと酸味の利いた。あっさりしたコーヒー。
ちなみに、坊ちゃんブレンドもあり。